澤崎賢一「暮らしのモンタージュ:フィールド研究の余白」

対話型学術誌『といとうとい』Vol.0
京都大学 学際融合教育研究推進センター, 2021, pp.82-89

多くの研究者が実際に現地におもむき海外の生活を直接体感するフィールドワークを行なっている。ただし成果物である論文に収まらない「余白」にこそアカデミアを更新する「体験」が潜んでいるのではないか?映像作家として活躍する著者が、研究者の体験がもつ価値に新しい視座を与える自身の手法について考察する。

Sawazaki, Kenichi. “Living Montage: The Margins of the Field Research

Toitoutoi Vol.0, Center for the Promotion of Interdisciplinary Education and Research, Kyoto University, 2021, pp.82-89

Many researchers conduct fieldwork to directly experience life overseas. However, isn’t it in the “margins” that don’t fit into the papers that the “experiences” that renew academia lie? The author, who is active as a filmmaker, discusses his own method of giving a new perspective to the value of the researcher’s experience.

連載『ことばとイメージと』

一個の人間が、東南アジア・アフリカ・ヨーロッパ各地など、彼にとって未知なる旅路で、新しい出会いや景色に遭遇し、驚き戸惑い、感動し汗を流しながら、映像や写真を記録している。その記録したイメージを眺めながら、出来事を思い出したり、新しいインスピレーションを得たり、感傷的になってみたり、する。その人間の感性を、なるたけ型に嵌めないように、身体の可動域を広げるように、ときに詩的に、ときに冗長に綴っていく連載作品。

澤崎賢一「フィールドの「余白」にあるもの」

田中樹・宮㟢英寿・石本雄大編
『エッセイ集 フィールドで出会う風と土と人6』、摂南大学、2021、pp.27-32

澤崎は、アカデミックな文脈では研究成果の「余白」として周縁に位置づけられやすいフィールドの「潜在性」を映像メディアによって記録し、その可能性を学術メディアとは別の視点からの鑑賞や評価の対象として共有する。
この「潜在性」とは、暮らしの中に垣間見られる知恵や工夫や驚きのようなものである。つまり、これからの社会をかたち作っていくためには、そういったとりとめもない暮らしの中での知恵や工夫や驚きがとても大切になるのではないか。

澤崎賢一「映画《動いている庭》にまつわる話」

ジル・クレマン著/エマニュエル・マレス編
『庭師と旅人―「動いている庭」から「第三風景」へ』秋山研吉訳
あいり出版、2021、pp.68-72

この地球全体をひとつの庭とみなす―庭を出発点に、人間と自然の根本的な関係を問いなおすフランスの庭師ジル・クレマン。地球を庭に、そして人類を庭師とみなすことで、クレマンは激変する現在の地球環境をめぐって新たな思想を紡いでいく。2015年初春、初めて日本人に直接語りかけた言葉を全文収録。
澤崎は、映画『動いている庭』を制作することになったきっかけや、映画を制作したときのことを回顧する。

澤崎賢一「小さなカメラと移動するカラダ」

ウェブマガジン『アネモメトリ』, 手のひらのデザイン #86, 2020

京都芸術大学通信教育課程の教材として制作されたwebマガジン『アネモメトリ』の身近なモノのかたち、つくりかた、使いかたを考える連載「手のひらのデザイン」に、「小さなカメラと移動するカラダ」というエッセイを寄稿しました。

澤崎賢一「クレマンさんの庭を訪問したときの話」

映画『動いている庭』カタログ、2016

フランスの庭師ジル・クレマンの活動を記録した長編ドキュメンタリー映画『動いている庭』(85分、2016年)。本作は、劇場公開映画として「第8回恵比寿映像祭」(恵比寿ガーデンシネマ、2016年)にて初公開され、その後も現在に至るまで国内外で多数上映されている。
澤崎は、映画『動いている庭』の撮影のために、クレマンの庭を訪問したときのことを回顧する。